正岡 律
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タフで面倒見の良い妹、律
明治3年10月25日ー昭和16年5月24日
正岡子規の3歳下の妹。財団法人子規庵保存会の初代理事長。
幼少期は気弱だった子規をいじめる人に、仕返しをするほど活発で気丈な性格だった。
明治25年に肺結核で身動きが取れなくなった子規の看病をするため、母八重と上京。根岸で子規を10年にわたり介護した。
子規の死後(明治35年)は家督を相続する。同年 正宗寺の子規遺髪埋埋葬式に参列。
その翌年に共立女子職業学校(現 共立女子大学)に入学する。卒業後は同校の事務員を経て和裁の教師となる。
大正3年、母方の叔父:加藤恒忠の3男の忠三郎を正岡家の養子として迎える。そして同6年には京都の志摩野裁縫教室で早縫の研究をした。
大正12年、母の八重の看病のために退職した。 昭和2年5月13日に八重永眠。同年2年7月、正宗寺に分骨するため、帰省。その翌年、財団法人子規庵保存会の初代会長となった。
昭和16年5月24日丹毒のため72歳で永眠。
律は家族の面倒見が良く、その頃には珍しいキャリアウーマンだった。