子規堂の生い立ち
初代子規堂
1926年(大正15年)に、子規堂は柳原極堂氏らによって、もと松山市湊町4丁目1番地にあった正岡家の旧居の一部をに移して建てたものから始まります。
その後、1933年(昭和8年)に焼失しました。
二代目子規堂
1935年(昭和10年)に子規堂が再建されました。しかしながら、1945年(昭和20年)7月の松山空襲により焼失しました。
三代目子規堂
現在の子規堂は1946年(昭和21年)に子規の妹律の遺した記録図と友人柳原極堂氏の記憶に基づき、当時の居宅の構造をそのまま再現したもので旧宅のたたずまいを真によく回想し、かつ考証するに足るものとなったのです。
愛媛県の史跡指定
1948年(昭和23年)10月28日、埋髪塔と同じく愛媛県の「記念物・史跡」に指定されました。