子規堂

子規堂は、正岡家の菩提寺である正宗寺(しょうじゅうじ)境内に建ち、子規が17歳まで暮らした家を復元した記念堂です。 子規堂内には、子規の直筆原稿や遺墨・遺品などを展示しており、筆まめで鋭敏な子規の性格を感じとる事ができます。勉強部屋や愛用の机などもみものです。
正宗寺の境内墓地に入ると右手に高浜虚子の筆塚、正面には子規の埋髪塔と内藤鳴雪の髭塔
があり、その後方には正岡家のお墓があります。また、子規堂の正面には夏目漱石が小説の中で
「マッチ箱のような汽車」と評した通称『坊っちゃん列車』の客車もあります。
現在の子規堂は三代目
初代 子規堂
1926年(大正15年)に、子規堂は柳原極堂氏らによって、もと松山市湊町4丁目1番地にあった正岡家の旧居の一部をに移して建てたものから始まります。 その後、1933年(昭和8年)に焼失しました。
二代目 子規堂
1935年(昭和10年)に子規堂が再建されました。しかしながら、1945年(昭和20年)7月の松山空襲により焼失しました。
三代目 子規堂
現在の子規堂は1946年(昭和21年)に子規の妹律の遺した記録図と友人柳原極堂氏の記憶に基づき、当時の居宅の構造をそのまま再現したもので旧宅のたたずまいを真によく回想し、かつ考証するに足るものとなったのです。
愛媛県の史跡指定
1948年(昭和23年)10月28日、埋髪塔と同じく愛媛県の「記念物・史跡」に指定されました。
子規堂は、もと松山市湊町4丁目1番地にあった正岡家の旧居の一部を移して建てたものから始まります。
その後、昭和8(1933)年に焼失し昭和10(1935)年に再建したが戦災により又焼失しました。
現在の子規堂は昭和21(1946)年に子規の妹律の遺した記録図と友人柳原極堂氏の記憶に基づき、当時の居宅の構造をそのまま再現したもので旧宅のたたずまいを真によく回想し、かつ考証するに足るものです。
昭和23(1948)年10月28日、埋髪塔と同じく愛媛県の「記念物・史跡」に指定されました。
正岡子規

慶応3年9月17日-明治35年9月19日
名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改名しました。 俳句・短歌・新体詩・小説・評論・随筆など多方面に亘り創作活動を行い、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした明治時代を代表する文学者の一人です。
旅立ちの像

子規が25歳のころに箱根の関所近くで撮った写真をもとに、曽我光四郎(故)氏の古希に併せて平成10年9月19日に建立。阿部誠一氏作。 英文で「最も偉大な俳句の詩人、正岡子規が文学探究のために、まさに旅立とうとしている」と書かれています。
埋髪塔

子規が亡くなった後に遺髪の埋葬が行われ、正岡家のお墓の横に子規の埋髪塔が建立されました。その周りには筆塚や髭塚も建立されています。

その左には内藤鳴雪の髭塚も建立されています。
坊っちゃん列車

夏目漱石自身が松山での教師体験をもとに描かれた小説『坊っちやん』の中で、
「マッチ箱のような汽車」として登場しており、主人公の坊っちゃんが乗った事から坊っちゃん列車と呼ばれるようになりました。




絵葉書やクリアファイルなど、オリジナル商品を取り揃えております。
お土産や、旅の思い出にいかがでしょうか。
拝観料:大人50円 大学・高校生:40円 小学生:30円
※キャシュレス決済の対応をしております。
アクセス
松山空港からお越しの方
- 松山空港からリムジンバス(所要時間約35分) 松山市駅下車 徒歩5分
JR松山駅からお越しの方
- JR松山駅から市内電車(所要時間約11分) 松山市駅下車 徒歩5分
松山観光港からお越しの方
- 松山観光港からリムジンバス(所要時間約30分) 松山市駅下車 徒歩5分
松山ICからお越しの方
- 松山ICから約40分
- お車はお寺の敷地内に駐車できます