石井 露月
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露月は子規の弟子⁉
明治6年5月17日ー昭和3年9月18日
名は裕治(ゆうじ)。秋田生まれ。俳人、医師。
秋田中学時代には漢詩を本格的に学んだが脚気を患ったため、3年で中退した。
雨に濡れた若葉に月影が差すのを見て露月と号するようになった。
子規の幹旋により新聞『日本』へ入社し、『小日本』の編集を担当した。また松山版「ほととぎす」選者も務めた。
持病の脚気の悪化のため医業を志す様になり、東京や京都で病院に勤めながら子規に俳句を学んだ。
そして明治31年に医師試験に合格し、翌年に帰郷し無医村だった古里に医院を開業し、伝染病の治療に専念した。
その翌年には雑誌『俳星』を創刊し、晩年まで医療に携わりつつ俳句に精進し、子規の「日本派」を普及しつつ「奥羽調」「露月調」というような独自の句境を深めていった。
『俳星』以外にも「瓦川」「三峨」「雲蹤」などの刊行にかかわり、後世への指導も行うなど、俳諧に大きな影響を残した。
また死後には『露月句集』(1931)、文集『蜩(ひぐらし)を聴きつゝ』(1935)が出た。