子規と野球の碑
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子規と野球
子規は上京して大学予備門に入学する前から、喀血をするまで野球に(友人に引かれるぐらい)熱中していた。ポジションはキャッチャー。
自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで、「野球(のぼーる)」という雅号を用いていた。その4年後に中馬庚(ちゅうまんかなえ)がベースボールを「野球(やきゅう)」と翻訳した。
つまり読み方は違えど、子規は「野球」という表記を作り出した男ということになる。
ベースボールに対する訳語は提示されていないものの、野球に関する俳句や和歌を詠むなど、文学を通して野球の普及に貢献していた。
この碑には、野球を愛していた子規が新聞「日本」で発表したベースボールの歌の九首のうち二首が刻まれており、子規堂前にある坊っちゃん列車の横に建立している。
子規はどんな野球の俳句と短歌を作ったん??
特別に子規が詠んだ野球に関する俳句と短歌をいくつかお教えしましょう!
俳句編
・夏草や ベースボールの 人通し(明治31年)
・春風や まりを投げたき 草の原(明治23年)
短歌編
・若人のすなる遊びはさはにあれど ベースボールに如く者はあらじ(明治31年)
などなどです!まだまだあるけん興味がある人は調べてみてね!